よく「人生ムダなことは何もない」と言うけれど、本当にそう思う。
近所に独身の兄妹で暮らすご家族がいて、病気の兄を妹が介護している。
少し若めの男性の介護は完全なお年寄りの介護と若干違うところもあり、互いに共感を持っていたが、ひと足早く私が介護を卒業することになった。
最近お兄さんの病状が悪化して、妹さんが心身ともに疲弊しているのが気の毒で見ていられず、おかず一品を差し入れたり、愚痴の聞き役に徹している。
変な話、そのお兄さんの状態は、少し遅れてわが夫を追いかけているかのような下がり方だから、多少症状は違えど、状況や心境は理解できるし、介護サービスの見直しについても助言できる。
担当ケアマネが少し頼りにならないこともあって、このところ私への相談頻度も増え、私も分かる範囲での助言や情報提供、以前お世話になった介護サービス担当者への問い合わせなど、いらぬお節介をしている真っ最中。
長きに渡る介護生活(母10年、夫5年)は、私を成長させると共に、経験しなくちゃ絶対に分からないと言われる介護の苦労を共感することのできる宝物となった。
父は玄関先で倒れてあっという間に亡くなってしまったが、その後の母の介護を通して、父の苦労・苦悩を知ることができた。(老老介護3年)
変な話、そのお兄さんの状態は、少し遅れてわが夫を追いかけているかのような下がり方だから、多少症状は違えど、状況や心境は理解できるし、介護サービスの見直しについても助言できる。
担当ケアマネが少し頼りにならないこともあって、このところ私への相談頻度も増え、私も分かる範囲での助言や情報提供、以前お世話になった介護サービス担当者への問い合わせなど、いらぬお節介をしている真っ最中。
長きに渡る介護生活(母10年、夫5年)は、私を成長させると共に、経験しなくちゃ絶対に分からないと言われる介護の苦労を共感することのできる宝物となった。
父は玄関先で倒れてあっという間に亡くなってしまったが、その後の母の介護を通して、父の苦労・苦悩を知ることができた。(老老介護3年)
母は最後の1年半寝たきりで目も開けず身動きできない状態でも、義姉がお見舞いに来てくれた時、「いつもお世話になっているんだよ」と話しかけたら薄目を開け口をパクパクして、まるでお礼を言うかのような母の姿を見て、最後まで母親なのだと痛感させられた。
夫に至っては、介護を通してとても近い関係になれて、あれがなければ私はきっと夫のありがたみを感じることなく不平不満だらけで今も生きていただろうと思う。
夫は、元気な時も病気になってからも、そして亡くなった今も私を守り続けていてくれる。
話は戻って、ご近所さん(妹)はいつも介護の愚痴や、大声をあげるお兄さんに悪態をついてはいるが、その細やかな介護スタイルの根底には、兄妹愛が流れているのを感じるがゆえに、私もお手伝いをしようと思うのである。
夫に至っては、介護を通してとても近い関係になれて、あれがなければ私はきっと夫のありがたみを感じることなく不平不満だらけで今も生きていただろうと思う。
夫は、元気な時も病気になってからも、そして亡くなった今も私を守り続けていてくれる。
話は戻って、ご近所さん(妹)はいつも介護の愚痴や、大声をあげるお兄さんに悪態をついてはいるが、その細やかな介護スタイルの根底には、兄妹愛が流れているのを感じるがゆえに、私もお手伝いをしようと思うのである。
必死に闘うその姿がいじらしくて(と言っても私よりひと回り上なのだが)黙ってはおれない。
とは言え、無理は続かないので、できる範囲でできる事をする、というスタンスは守ることにしている。
とは言え、無理は続かないので、できる範囲でできる事をする、というスタンスは守ることにしている。
そうでないと、いつの間にか「してやってる」という「小さな親切 大きなお世話」の押し付けがましい違う「何か」に変わってしまいそうで...
あくまでも心の底から真っ直ぐな善意によって相手の邪魔にならない程度というのが大切だと思うから。
とにかく、こうして動かせていただけることに心から感謝。
あくまでも心の底から真っ直ぐな善意によって相手の邪魔にならない程度というのが大切だと思うから。
とにかく、こうして動かせていただけることに心から感謝。
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